文明の先駆者(後編)
前回、前編として文明の前身である「役割分担」の多様化と、マネーによる専門家としての研究者の解放、そしてそのマネーによる専門家としての研究者の束縛・呪縛をお話した。
【文明のトンネルマン】
研究者は専門性の高さゆえ、視野が狭くなりがちだ。一体自分が今文明全体においてどの部分を掘り進めているのかを認識できていないことが多いのではないだろうか。もしくは、そのようなことに興味が無い者も多いのではないか。
自分が研究テーマとして掲げたその対象を自分がどう対峙するのか。また、それがどう評価されるのか。このことにしか興味が無い研究者は多くいるだろう。それでは研究者たちがどうしようもないように聞こえるかもしれないが、前回もお話したように、そうなるべくしてなっている部分が多分にある。ただ、可能な限り視野を広く持てる研究者の方が理想的であるとは言えるのもまた事実ではある。
その視野の狭さゆえ、特に最先端とされる研究のパイオニア達は、各々がトンネルを掘るように、深く、深く研究を掘り下げている現状にある。その研究が後に文明の糧となるかは別として、金と時間と命の尽きるまで、研究を進めてゆく。研究者を研究者足らしめるため、マネーとは別に教育と言うシステムも大いにその効果を発揮している。良い事なのか悪い事なのかはその人次第だが、研究者が研究者として特化していけばいくほど、マネーのしがらみに捕えられ「生きていくには研究をマネーにつなげるほかない」と思い込んでいく。
トンネルマンたちは、トンネルを掘ることでしか自分を認められず、また、自分が思うようにも掘れず、更には自分がどこを掘っているのかさえ分からない状態になっているのではないだろうか。
【非合理的な文明】
恐らくいつの時代もそうだが、特に現代の文明はとても合理的なものとは言えないだろう。それは、人類にとって生活のスタイルをより理想的なものとする研究にマネーや労力が注がれることが最優先とされていないからだ。優先順位の上位に常にあるのは、利権の争いであることは間違いない。利権とは、分かりやすく言えば、「金を生むシステム」と「そのシステムを使う権利」のことである。
分かりやすい分野として、エネルギー分野を例に利権を考えてみよう。代表的なエネルギーの利権争いは、火力発電と原子力発電の対立構図が思い浮かぶだろう。以前は火力発電が主流だったが、最近は原子力発電が大きくそのシェアを伸ばしてきた。しかし、3.11をきっかけに現状日本の原子力発電所のほとんどが稼働していない状態にあり、火力発電でそれを補う形となっている。
なぜ火力発電と原子力発電が対立しなければならないのか?それはざっくりと言えば、火力が石油を燃料とし、原子力は石油を燃料としないからである。火力発電は、石油や天然ガス、最近ではシェールガスなどを燃やすことで発電しているため、それらを採掘する企業は火力発電のシェアが広まってもらわないと困るわけだ。原子力発電は、そんな石油利権から利権を奪取するため、石油以外で「金を生むシステム」として創られた新たな利権なのである。石油利権からすれば原子力発電は邪魔者以外の何者でもない。
そんな二大巨頭のエネルギー利権が争う中、如何に画期的でローコスト、ローリスク、ハイリターンなエネルギーの研究・開発が行われたところで、そう簡単には表舞台に立たせてはくれないだろう。仮に今後、火力・原子力の代替エネルギーとして何かしらの新たなエネルギーが台頭してきたとしても、それは水面下で利権の移り変わりが起きただけであり、本当に新たなエネルギーが人類にとって最善の選択肢なのかどうかは怪しいものである。
しかし、前回もお話したように、文明とはその研究が表舞台に立って人々の生活に大きな影響を及ぼしてこそ文明であり、人々の生活に染み込んでいくということは、人々がある程度納得してその研究結果を受け入れているということである。「納得のすゝめ」でもお話したように、人の納得する基準とは、またそれも非合理的なものであり、虚像や幻想にまみれた存在なのである。文明の先駆者たちはその先端でトンネルを掘りつづけ、死んでいくのだ。
私たちは本当に、どこに進んでいるのだろうか。このかじ取りは誰が行っているのだろうか。私たち自身ではないことだけは明確で、私はその先を知りたい。
【文明のトンネルマン】
研究者は専門性の高さゆえ、視野が狭くなりがちだ。一体自分が今文明全体においてどの部分を掘り進めているのかを認識できていないことが多いのではないだろうか。もしくは、そのようなことに興味が無い者も多いのではないか。
自分が研究テーマとして掲げたその対象を自分がどう対峙するのか。また、それがどう評価されるのか。このことにしか興味が無い研究者は多くいるだろう。それでは研究者たちがどうしようもないように聞こえるかもしれないが、前回もお話したように、そうなるべくしてなっている部分が多分にある。ただ、可能な限り視野を広く持てる研究者の方が理想的であるとは言えるのもまた事実ではある。
その視野の狭さゆえ、特に最先端とされる研究のパイオニア達は、各々がトンネルを掘るように、深く、深く研究を掘り下げている現状にある。その研究が後に文明の糧となるかは別として、金と時間と命の尽きるまで、研究を進めてゆく。研究者を研究者足らしめるため、マネーとは別に教育と言うシステムも大いにその効果を発揮している。良い事なのか悪い事なのかはその人次第だが、研究者が研究者として特化していけばいくほど、マネーのしがらみに捕えられ「生きていくには研究をマネーにつなげるほかない」と思い込んでいく。
トンネルマンたちは、トンネルを掘ることでしか自分を認められず、また、自分が思うようにも掘れず、更には自分がどこを掘っているのかさえ分からない状態になっているのではないだろうか。
【非合理的な文明】
恐らくいつの時代もそうだが、特に現代の文明はとても合理的なものとは言えないだろう。それは、人類にとって生活のスタイルをより理想的なものとする研究にマネーや労力が注がれることが最優先とされていないからだ。優先順位の上位に常にあるのは、利権の争いであることは間違いない。利権とは、分かりやすく言えば、「金を生むシステム」と「そのシステムを使う権利」のことである。
分かりやすい分野として、エネルギー分野を例に利権を考えてみよう。代表的なエネルギーの利権争いは、火力発電と原子力発電の対立構図が思い浮かぶだろう。以前は火力発電が主流だったが、最近は原子力発電が大きくそのシェアを伸ばしてきた。しかし、3.11をきっかけに現状日本の原子力発電所のほとんどが稼働していない状態にあり、火力発電でそれを補う形となっている。
なぜ火力発電と原子力発電が対立しなければならないのか?それはざっくりと言えば、火力が石油を燃料とし、原子力は石油を燃料としないからである。火力発電は、石油や天然ガス、最近ではシェールガスなどを燃やすことで発電しているため、それらを採掘する企業は火力発電のシェアが広まってもらわないと困るわけだ。原子力発電は、そんな石油利権から利権を奪取するため、石油以外で「金を生むシステム」として創られた新たな利権なのである。石油利権からすれば原子力発電は邪魔者以外の何者でもない。
そんな二大巨頭のエネルギー利権が争う中、如何に画期的でローコスト、ローリスク、ハイリターンなエネルギーの研究・開発が行われたところで、そう簡単には表舞台に立たせてはくれないだろう。仮に今後、火力・原子力の代替エネルギーとして何かしらの新たなエネルギーが台頭してきたとしても、それは水面下で利権の移り変わりが起きただけであり、本当に新たなエネルギーが人類にとって最善の選択肢なのかどうかは怪しいものである。
しかし、前回もお話したように、文明とはその研究が表舞台に立って人々の生活に大きな影響を及ぼしてこそ文明であり、人々の生活に染み込んでいくということは、人々がある程度納得してその研究結果を受け入れているということである。「納得のすゝめ」でもお話したように、人の納得する基準とは、またそれも非合理的なものであり、虚像や幻想にまみれた存在なのである。文明の先駆者たちはその先端でトンネルを掘りつづけ、死んでいくのだ。
私たちは本当に、どこに進んでいるのだろうか。このかじ取りは誰が行っているのだろうか。私たち自身ではないことだけは明確で、私はその先を知りたい。
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